私が生まれた場所は北海道空知郡上砂川町奥沢だが(昭和23年=1948年)、3歳の時に同郡三井奈井江白山 (下左地図の赤丸)に移り、そこで小学5年生の10月まで過ごした。 その後は父の転職にあわせて昭和34年(1959年)10月、岩見沢市に移り住んだが、今も幼少期の思い出とともにこの土地を忘れることはない。


(画像クリックで拡大写真)

三井鉱山奈井江専用鉄道の歴史

・1947年(昭和22年): 三井鉱山砂川鉱業所奈井江白山坑開発
・1949年(昭和24年)10月1日:奈井江駅より砂川方向430m地点に三井奈井江駅開設・三井奈井江駅 - 白山坑駅6.4km間専用鉄道開通
・1950年(昭和25年)10月: 配給所裏乗降場(後に桜ヶ丘に改称)開設
・1951年(昭和26年)4月: 白山坑駅を白山駅に改称  12月14日: 奈井江坑開発に伴い白山駅 - 東奈井江駅間3.6km延長開通
・1952年(昭和27年)10月: 向ヶ丘駅開設
・1967年(昭和42年)6月: 旅客列車運行停止  7月:奥奈井江炭鉱奈井江坑閉山
・1968年(昭和43年)6月: 山元貯炭搬出終了、貨物列車運行停止   9月30日:専用鉄道廃止

この地には三井鉱山の炭住街として多くの人が住んでいたが、昭和42年10月の閉山に伴い人も住まなくなって建物なども取り壊され、現在はその形跡は何も残っていないが、奈井江から上砂川に通じる道々114号線として道路だけは残っている。
その後の状況について情報が寄せられましたので転載させていただきます。
「実際は、三井奈井江小学校が昭和37年に閉校した後、新橋のそばに白山小学校ができ,石狩炭鉱というのが昭和47年のガス爆発で閉山するまで操業していて、閉山後も三井奈井江に住んでいる人たちがいました。少なくとも昭和60年くらいまでは住む人がいたと思います。」 情報、ありがとうございました。


白抜き文字は昔の地名施設など。赤文字は 現在の橋の名前や施設名でふるさとの場所を特定する際の手がかりとなる。(白山神社についてはこちら  ないえ温泉についてはこちら


ふるさと写真の今昔

昭和42年(1967年)3月8日  と 平成23年(2011年)11月3日(44年後)

高校の卒業式を4日後に控えた昭和42年3月8日、幼少時を過ごしたふるさとを訪れて写した写真が古いアルバムに残っている。
前掲の歴史から列車運行の停止や炭鉱が閉山になる数ヶ月前に訪れたことになるが、「住んでいた当時と変わらなかった」というコメントが写真とともにアルバムに残されている。
そのアルバムには写真を撮影した場所とその方向も手書きの地図に記されているが、その地図を現在の地図と照らし合わせながら当てはめてみると、手書きの地図の正確さもあって 意外にもすんなりとその場所が特定できた。
そうなると今度は同じ場所から同じ方向で現在の写真を撮りたいという衝動にかられて、平成23年(2011年)11月3日の休日にカメラと地図を持って現地に向かった。
実は過去にも何度かその道を通ったことがあるが何処が何処だかわからないままに通り過ぎていたが、今回もやはり道路の両端は木々が生い茂って見通しがきかず、 あっという間に通り過ぎては引き返すなど地図で想像していたのと実際では違いが大きくその場所を特定することがきわめて困難な状況だった。
そこで考えて手がかりにしたのが橋だった。道路や川が変わっていなければ橋のある場所も昔のままということで、実際の橋と地図上の橋をチェックしながら確認していくうちに昔の記憶もよみがり、さらに車から降りて詳しく調べると細い道や平地を見つけて場所が特定され て、何とか昭和42年に写真を撮った同じ場所を探し当てることが出来た。
しかし、撮影にあたっては同じ場所、同じ方向で撮影するには見通しがきかなかったり、木々や藪が邪魔して近づけなかったりとすべて完璧というわけにはいかなかったが、11枚中7枚は狙い通りの写真が撮れて自分としては満足 している。

◎ 持参した地図(丸数字は昭和42年に写真を撮影した場所で矢印はカメラを向けた方向。施設名などは自分の記憶に基づく。 )

 

◎ 昔と44年後の今の写真(拡大写真、関連写真、コメントなどは@〜Jの写真をクリック )

道路が「熊の生息地につき立ち入り禁止」なっているために近づけず、撮影不能。